K-BOSSの会

半僧半俗の姿勢で仏の教えを学ぶ

【諦観】日本代表、ブラジル戦敗退から学ぶ。圧倒的な壁にぶつかった時の「あきらめ方」

『半僧半俗ノート 〜日常と仏教の交差点〜』をお読みの皆様、こんにちは。

​今週は、なんと言ってもワールドカップの話題ですね。

皆様も、日本代表が強豪ブラジルに挑み、そして敗退したあの試合を、手に汗握りながら見守っていたのではないでしょうか。

​選手たちがピッチで流した悔し涙。全力を出し切っても、どうしても届かなかった世界トップクラスとの差。あの姿は決して他人事ではなく、胸に迫るものがあったはずです。

​私たちの日常にも、これと同じような局面が必ずあります。

例えば、どれだけ時間をかけて勉強しても試験に受からなかった時。人間関係や趣味の世界で、どんなに頑張っても越えられない壁にぶつかり、自分の無力さを痛感する時。

​そんな時、仏教が私たちに教えてくれるのが「諦観(たいかん)」という姿勢です。

​私たちは日常で「あきらめる」という言葉を、「途中で投げ出す」「挫折する」というネガティブな意味で使いがちです。しかし、仏教における「あきらめる」の本来の語源は「明らめる(明らかにする)」です。

​自分の願望や感情を一旦横に置き、目の前にある事実、つまり「理想と現実の間にある圧倒的な差」をごまかすことなく、はっきりと見つめて明らかにすること。それが本来の「あきらめる(諦観)」の意味なのです。

​日本代表の選手たちは、きっと今回の悔しさを言い訳にせず、ブラジルとの間にある差を「明らめる」はずです。そして、その明確になった現在地から、また新しいスタートを切ることでしょう。

​私たちも同じです。

圧倒的な壁にぶつかり、思い通りにいかなかった時こそ、感情的になって「運が悪かっただけだ」と目を背けたり、逆に「自分はダメだ」と卑下したりしてはいけません。

​悔しさをしっかり噛み締めた上で、今の自分の実力や現在地を冷静に「明らめる」。

そして、全力を尽くした自分のプロセス(努力)を心から讃え、次の第一歩を踏み出す。それこそが、何度転んでも立ち上がるための真の強さではないでしょうか。

​今週は、日本代表の選手たちに心からの拍手を送るとともに、私たち自身も「正しいあきらめ(諦観)」を胸に、それぞれの日常に向き合っていきましょう。

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