K-BOSSの会

半僧半俗の姿勢で仏の教えを学ぶ

【足るを知る】お盆休み明けの現実に戻る時、「ないもの」ではなく「あるもの」に目を向ける

​『半僧半俗ノート 〜日常と仏教の交差点〜』をお読みの皆様、こんにちは。先週はお盆休みを挟み、少しの小休止を経て今週からの再開となります。皆様、それぞれの場所で心身を休めることはできましたでしょうか。

​久しぶりの実家でゆっくり過ごしたり、美味しいものを食べたり、非日常の時間を満喫したあと。自宅に戻ってきて普段の生活が始まった途端、なんだか急に現実の生活が味気なく感じられたり、「あぁ、もっとこうだったらいいのに」と自分の不便な部分ばかりが目についたりすることはありませんか。

​お休みという「特別な時間」を体験した直後だからこそ、私たちはついつい、自分に足りないものや、失ったものにばかり意識を向けてしまいがちです。

​そんな時、ふと思い出す言葉があります。それが「足るを知る(知足・ちそく)」です。

​もともとこの言葉は、古代中国の思想書である『老子』における「足るを知る者は富む」という道家の教えに由来しています。そしてお釈迦様もまた、人間の「執着」や「際限のない欲望」が苦しみの根本原因であると説いたことから、この智慧は仏教の中にも深く取り入れられました。

​初期仏教の経典である『遺教経(ゆいきょうぎょう)』には、次のような言葉が残されています。

  • 「まさに足るを知るを観ずべし。足るを知るの法は、すなわちこれ富楽安穏の処なり」 (=「足るを知る」という生き方こそが、心を安らかにし、本当の豊かさを得る方法である)

​仏教ではこれをさらに発展させ、欲望をコントロールして心を調える修行として「知足」や「少欲知足(しょうよくちそく)」という言葉で大切に受け継いできました。その精神は、京都の禅寺にある「つくばい(吾唯足知:われ、ただたるを知る)」の銭形の手水鉢などを通じて、日本の文化にも深く根を下ろしています。

​「足るを知る」とは、決して欲望を無理に抑え込んで我慢しなさいという窮屈な教えではありません。

​私たちは普段、もっと便利に、もっと上へと、自分の外側にばかりゴールを設定して走り続けています。そのため、どれほど色々なものを手に入れても、「まだ足りない」という感覚から抜け出せなくなってしまいます。

​しかし、立ち止まってみれば、私たちが今生きている日常の中には、すでにたくさんの「当たり前にある豊かさ」が存在しています。

朝起きて温かいお茶が飲めること、静かに眠れる自分の部屋があること、そして今日も無事に動き続けてくれる体があること。

​「ないもの」を数えてため息をつくのではなく、「今、手元にあるもの(足る)」にふと意識を向けてみる。

​お盆休みが終わり、日常という現実に戻るときこそ、「あぁ、自分の日常も、実はこれだけで十分に満たされていたんだな」と、その足元にある豊かさを思い出す絶好のチャンスなのかもしれません。

​今週からまた少しずつ、ご自身のペースで日常のエンジンをかけていきましょう。皆様にとって、穏やかな1週間となりますように。

コメントを残す

Contact info

K-BOSSの会 

zenchi.fukyojyo@gmail.com

080-5851-3200